2025年7月13日 (日)

ピーナの嫌いなところ

665

前回はピーナの魅力について書きましたが、実はそれ以上に嫌なところもあります。

これは生活習慣の違う日本人男性が感じることであって、フィリピン在住歴が長い方にはあまり関係ないかもしれません。

では自分が気づいたことをいくつか書いていきます。

ピーナの嫌なところ

 

①頭が固い

これはよく言われることです。頭の切り変えスイッチの無いピーナが多いです。

思い込んだ事に関しては、なかなか変更出来ません。

柔軟な考えは出来なくて、かなり固執した考えを持っています。

 

②知ったかぶりをする

これはフィリピンの国民性かな。わからない・知らないとは言いません。

自分は知らないのに、適当なことをさも知っている事のように言う事があります。

ですからピーナのいう事は、信用できない時が多々あります。

知らない・わからないと言えば済むことを、適当なことを言うのでトラブルになることも多いです。

 

③新しいことに挑戦しない

生活は自分の知っている範囲だけで行う事が多いです。

例えばまだ食べたことの無い食べ物は口にしないとかですね。

ですから知識が広がりません。視野が狭いというか知識も限定されたものになります。

 

④自分のためなら平気でうそをつく

これは水商売のピーナ限定かな。例えばPパブで働いているピーナには真実は必要ありません。

仕事上のうそは日常的です。疑似恋愛もそのひとつ。

お客さんには真実をみせません。彼女らのトークはすべて営業のためのもの。

それに気づかないお客さんが多いので、Pパブが流行ったのです。

疑似恋愛は嘘の塊ですから・・・・・

ただしお客さんではなく、友達や恋人には嘘を付く必要がありません。

ピーナの嘘はおカネのためと理解してください。

 

⑤たかりのプロ

これはフィリピンの国民性です。貧困層ではなく中流・上流でも同じです。

持っている人から恵んでもらうという文化がありますので、これは当然の権利だと皆思っています。

たかることが悪いこと・恥ずかしいことだとは1ミリも思っていません。

たとえ恵んでもらっても当たり前のことですから、当然感謝の気持ちもありません。

恵んでもらえたのは、神様のおかげだと皆おなじように考えています。

だから達が悪いのです。

ピーナに援助してもあなたに対しては感謝の気持ちはありません。

恩義も感じません。

口ではさすがに『ありがとう』ぐらいは言いますが、心の中では『当たり前のとこじゃん』ぐらいにしか思っていません。

恩義はすべて神様に対して発生します。

教会で神様に感謝するだけなのです。

ここのところをしっかりと認識・理解していないと、トラブルの原因になります。

日本人とピーナの夫婦が破綻する原因のひとつでもあります。

 

 

他にもあるのですが、あまりピーナを貶めてもかわいそうなのでこの辺にとどめておきます。

 

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

2025年7月11日 (金)

ピーナの魅力

Img_e8716_20250625110801

今回はピーナ(フィリピン人女性)の魅力について書いてみようと思います。

ピーナには日本人女性にはない魅力があります。

だから恋をしてしまう殿方も多かったと思います。

多かったと過去形になっているのは、時代の変化で現在日本には恋愛対象になるような若いピーナが少なくなってしまったからです。

2000年~2007年ごろが日本のフィリピンパブで働くピーナが一番多かった時代です。

現在はその当時の1割以下しかいないと思われます。

フィリピンパブで働くピーナの高齢化が進み、タレントと称する興行ピザで日本に働きに来る若いピーナが激減しました。

現在は東京周辺で言うと東京を除く関東・山梨・長野・福島県・新潟県などの一部のお店しかタレントはいません。

少ないということは出会いも少なく、恋愛になる件数も少ないということですね。

 

それでもピーナに惚れてしまう殿方は今でもいるようです。

それはなぜなのか?

この件について自分なりに考えてみました。

最初に書いたとおり、日本人女性にはない魅力がある ということです。

もちろんピーナの欠点も同じくらいあるのですが、今回は良い面だけを書いていきます。

 

①性格が明るくて陽気

南国らしく底抜けに明るい性格です。クヨクヨしなくて、笑顔が絶えない。

一緒にいるとストレスがなくなります。

へこんでも立ち直りが早く、とにかく陽気で明るいのが特徴。

フィリピン人は日本人より自殺件数がはるかに少ないというデーターがあります。

 

②親身に尽くしてくれる

愛されている場合、親身にとことん尽くしてくれます。これでメロメロになる方も多いと思います。

尽くし方の度合いは日本人女性をはるかに超えています。

これは国民性のようです。ですから介護などの分野にピーナは適任なんでしょうね。

 

③愛情がとても深い

これでもかこれでもかというくらいに愛してくれます。たまにうざい時もありますが、愛情の深さはピカ1です。でも浮気をした時の怖さは日本人女性より凄いです。

またその裏返してして、嫉妬も凄いので気を付けなくてはなりません。

 

④スタイルが良い

ピーナは背が低く浅黒く、豚鼻だとよく言われていましたが、それはごく一部。

実はきれいな方も大勢いるのです。ミスコンなどではフィリピン人女性はかなりランク上位です。

特にスペイン系の血筋の入っている地域には美人が多いのです。

スタイルに関しても足が長く、出るところは出ていてセクシーな女性が多いですよ。

 

⑤夜の営みが情熱的

これは正直なところ個人差がありますが、自分の経験上では上位はすべてピーナです。

恋愛状態であれば、淡白では無く、とても情熱的だと思います。

たまにマグロもいますが、それはほとんど水商売のお姉さまだと思われます。

愛されている場合は、いやというほど尽くしてくれますよ。

日本人夫婦の場合は年月が経つとセックスレスになりますが、ピーナの場合それはあまりありません。

長年に渡ってラブラブ状態が続く確率が高いように思われます。

 

 

以上がピーナの魅力でした。

次回はその逆のピーナの短所について書いてみます。

 

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

2025年7月 9日 (水)

館林市 ワールドシアターQT9

気分転換で北関東をドライブしてきました。

昼間は日帰り温泉に行って、夜はPパブ巡りをするというのが、一応自分流の遊び方です。

そんな遊び方を何年かしてきて、地方のPパブにも詳しくなってきました。

 

ここでいうPパブとは、いわゆる都内にあるようなアルバイトキャストだけのお店とは違います。

かつてPパブ全盛期にあったようなタレント(興行ビザで日本に働きに来ている若いフィリピン女性)中心のお店なんです。

そんなPパブまだあるの?という方に

自分の知っている範囲だと都内を除く関東全県と山梨・長野・新潟・福島にタレントのいるPパブがあります。

特に多いのが福島県。

福島市、郡山市、会津若松市、白河市、いわき市などにあるPパブにタレントは来ています。

任期はエリアと店によって違いますが3か月または6か月。福島県に関してはほぼ6か月です。

皆様も機会があれば、行ってみて下さい。

このブログでは、タレント店の情報も随時アップしていきますのでよろしくお願いします。

過去の記事に関しては『PP行脚』をご覧ください。

Img_1780 Img_2156

さて今回行った日帰り温泉は群馬県太田市の『天然温泉湯楽部』です。

HPはこちら

https://ota.yurabu.com/?_gl=1%2A1ywy7z2%2A_ga%2ANjkyNTM2MjU5LjE3NTE0MjY4MTI.%2A_ga_3ZSZY8SF0H%2AczE3NTE0MjY4MTEkbzEkZzAkdDE3NTE0MjY4MTEkajYwJGwwJGgw%2A_ga_2ZP723V6XE%2AczE3NTE0MjY4MTIkbzEkZzAkdDE3NTE0MjY4MTIkajYwJGwwJGgw&_ga=2.227729556.808702550.1751426812-692536259.1751426812https://ota.yurabu.com/?_gl=1%2A1ywy7z2%2A_ga%2ANjkyNTM2MjU5LjE3NTE0MjY4MTI.%2A_ga_3ZSZY8SF0H%2AczE3NTE0MjY4MTEkbzEkZzAkdDE3NTE0MjY4MTEkajYwJGwwJGgw%2A_ga_2ZP723V6XE%2AczE3NTE0MjY4MTIkbzEkZzAkdDE3NTE0MjY4MTIkajYwJGwwJGgw&_ga=2.227729556.808702550.1751426812-692536259.1751426812

 

お気に入りのコースは平日1.450円の得々スパコース。

タオルセット、館内着もついて3階の美肌温活ドームとコミックカフェも利用できます。

コミックの量が半端なく多いので、漫画好きの自分としては最高です。

10時から17時まで滞在できるので、十分ここで疲れを癒すことが出来ます。

 

Img_2139

夜になりました。訪れたのは群馬県館林市のワールドシアターQT9です。

住所は館林市東美園町18-9

Img_2138 Img_2134

店の脇に駐車場2~3台のみ、その少し先のコインランドリーしゃぼんの手前に大きな駐車場もあります。

料金表はこちら ↓

Img_2140

1セット60分3.500円 延長60分3.000円

ただし1人の場合は金・土・祝前日がプラス1.000円です。

ですから1人の場合は、日曜~木曜がお得ということになります。

 

タレントは8名アルバイトキャストが4名でした(令和7年6月下旬)

ここのタレントの任期はなぜか6か月だそうです。

となりの太田界隈は3か月なのに、プロモーターの力量の違いなのかな?

Img_2141

ショータイムの時間割はこちら ↑

 

カラオケはDAMで1.000円で5曲のチケット制です。

ステージで歌うルールらしく、今回はひさしぶりにOPMを歌いました。

音響はなかなか良かったです。

2廻り目のタレントは歌も出来るということなので、タガログ語曲の定番をデュエットで・・・・

それなりに楽しめました。

 

ここは地元の人気店という事だけあって、タレントの質もスタッフの対応もピカイチでした。

気分よく遊べるPパブが一番です。

ただしここは遅い時間は混んでいて入れないこともあるので要注意です。

19時オープンなので早い時間に行くことをお勧めします。

今回は次の予定があったので1セットのみで退散。

 

お会計は1セット60分、ドリンク3、カラオケ、税金で8.200円でした。

次回はもうちょっと長い時間滞在したいと思いました。

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

2025年7月 6日 (日)

ピーナちゃんとの恋愛 7

再びダイヤモンドホテルに滞在です。

ずっとホテルのベッドで寝ていましたが、体調がさらに悪くなる一方です。

腹痛・下痢・倦怠感がひどく、高熱も出始め、40℃を少し超えていました。

だんだん意識が朦朧としてきたので、さすがに病院に行くことにしました。

その当時、保険の代理店業務も副業で資格を取ってやっていたので、旅行傷害保険は念のため加入していました。

これが結果的には命を救ってくれたようなものです。

1_20250625110201 2_20250625110201

救急車で搬送される

 

いとこ君が病院まで連れて行ってくれる手筈でしたが、ベッドですでに意識が無くなってしまったようです。

自分が気が付いた時は病院の廊下にベッドで寝かされていました。

ホテルのフロントが救急車を手配してくれたそうで、それで運ばれたとLちゃんが言っていました。

ベッドから数人で担架に移動された時の記憶はうっすらありますが、それ以外は思い出せませんでした。

 

しかし何で廊下に寝かされているのか不思議でした。

朦朧とした意識の中、Lちゃんが病院のスタッフと必死に交渉しているのは記憶に残っています。

 

次に目が覚めた時は病院の個室でした。Lちゃんの他にナースが1名世話してくれています。

 

あとで聞いた話だと、自分が運ばれたフィリピンのこの病院はすべて前払い制、おカネを払ってレシートを見せないと治療もしてくれないのだとか・・・・・

しかも高額。

旅行傷害保険の証書をLちゃんが病院のスタッフに見せたら、病院側が保険会社に連絡を取ってくれて支払いを保険会社がすることに決まってから、治療が始まったらしい。

だからそれまでは廊下で放置されていたみたいです。

恐るべしフィリピンの病院。

 

病名は細菌性赤痢。合併症を起こす寸前の状態だったとのこと。

自分の場合は腹痛・下痢よりも高熱による意識障害の方がひどかったです。

あと1日遅ければ重症になっていたかもしれません。

 

保険会社が支払うと決まったら、個室に移されナース1名常駐と言う神待遇に。

3日間ほどで体調も良くなり退院。

こちらの注射は筋肉注射なので、よく映画の野戦病院でしている注射器をぶっ刺すやつです。

あれが意外と痛く、意識もうろうとしていた時に打たれた注射の痛みはまだ覚えています。

しかしこの病院の注射は凄い、一気に回復したからめちゃ強い薬なんでしょうね。

お蔭で帰国後、数年間は風邪もひかなくなりました。

強い抗体が出来たのかもしれません。

病院からは完治証明書のような書類を渡され、帰国時に問題があるようなら見せるようにとアドバイスされました。

 

後半はボラカイ島かバギオに行く予定でしたがすべてキャンセル。

退院後はダイヤモンドホテルで静養して、帰国日を待ちました。

損保の代理店の仕事もしていたのですが、実際こんなことが起きると旅行傷害保険は必須ですね。

保険に入っているかいないかでは雲泥の差です。旅行中は大金など持ち歩かないですからね。

保険適用と決まったら病院の態度がガラリと変わるのでびっくりしました。

これも良い経験の一つです。

細菌性赤痢の感染源については、不明でしたが潜伏期間を考えるとLちゃん宅の歓迎パーティか、初日から2日目までの飲食に原因があるようでした。

生水は飲んだことが無いので、おそらく氷ではないかとドクターは言っていました。

 

そして帰国日。Lちゃんと涙のお別れです。

といっても3か月後には、また日本に戻ってくるので少しの辛抱です。

 

 

今回は7回に渡って初めて出来たピーナの恋人のLちゃんとの同伴帰国のエピソードをお伝えしました。

Lちゃんとは、その後どうなったのか?

自分の人生が大きく変わったのは事実です。

気が向いたらまたそのうち。

 

次回からは、Pパブ情報などをアップしていきます。

そしてピーナちゃんと仲良くなれる方法、その条件などについて書いていこうかと思います。

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

2025年7月 4日 (金)

ピーナちやんとの恋愛 6

Lちゃん宅でのパーティも終わり、明日はどこに行くか思案中。

ビーチに行くならバタンガスのビーチがマニラから近くてそこそこ良いとの話。

いとこ君の話だとここマニラから車で3~4時間くらいとのこと。

 

自分は何もわからないので、いとこ君の自信たっぷりの言葉を信じることにしました。

せっかくだからタガイタイを観光してから向かうというプランを立ててくれました。

出発は明朝7時に決定し、我々はダイヤモンドホテルに戻りました。

 

タガイタイへ

翌朝、ほぼ定刻にいとこ君が到着。

これにはLちゃんがビックリしていました。あり得ないと・・・・・

いつも約束の時間から1~2時間遅れなのに今日はなぜ?

その理由がわかりました。

このホテルで一度でいいから朝食を食べてみたかったということです。

やはりそんなことかと少しがっかり。

3人で朝食をいただきました。

 

いとこ君のドライブテクニックは◎ やたらと裏道を知っているのが凄いです。

Img_1649_20250623161601 Img_1648_20250623161701

渋滞にも巻き込まれず、予定より早めにタガイタイに着きました。

ここは標高が高いので、マニラよりも涼しいです。

風がひんやりしていて気分爽快。

マニラ近郊でもあるため避暑地としても人気があるそうです。

Img_1692_20250623161701

ここで早めの昼食。

名物のブラロという牛肉と野菜の煮込みスープをいただきました。

肉がホロホロくらいに柔らかく、めちゃ美味しかったです。

フィリピン料理の中では、今でもブラロは大好きです。

Img_1494_20250623161801

あとこの地はBARAKOコーヒーの産地でもあり、喫茶店が多いのも特徴です。

 

あまりにもタガイタイが気に入ったのでここに泊まりたかったのですが、予定通りバタンガスに向かう事にします。

リゾートホテルの駐車場についたのは16時くらい。

 

バタンガスマビーニと言うエリアのリゾートホテルです。

ここに2泊の予定です。

車から降りようとしたら いとこ君が制止。『ここで待っててくれ』と言うので

理由を聞くと、お前と一緒だと宿泊費が高くなるから だって。

ここは外国人価格とローカル価格があって、フィリピン人以外は全員特別価格(ぼったくり価格)があるんだそう。

先払いだから払ってしまえば、あとは問題ないそうです。

Lちゃんと一緒にパレンケ(公設市場)に行った時も、いつもより高くなったとボヤいていたけど、自分が原因だったとは知りませんでした。

取れる奴からはしっかり取る これがフィリピンのシステムだと思い知らされました。

 

ダイヤモンドホテルなどは一流の国際ホテルなので、そんなことは全くなかったのですが、フィリピンのローカルホテルは怖いと思いました。

小さめのバンガローを2つ借りて、いざ海へ。

透き通ってきれいな海でしたが、めちや深い。ちょっと沖に出ただけで深海のような深さです。

ここはダイビングスポットとして有名で、海水浴には不向き。

結局プールで遊ぶことに。

プールならダイヤモンドホテルの方が数十倍素敵でした。

ここまで来た甲斐はあまり無さそうです。タガイタイに泊まれば良かったと反省。

何事も経験だとあきらめました。

唯一良かったのは、夕食の海鮮バーベキュー。獲れたての鮮魚はさすがに美味しかったです。

 

翌日は船をチャーターして近くの島へ向かいます。ここのビーチは黒い砂利でしたが比較的遠浅でビーチ遊びを堪能できました。

食事は漁師さんが海鮮バーベキューをしてくれました。

夜はホテルのラウンジでカラオケタイム。

LちゃんからTOOTSIE  GUEVARAの曲を歌えるようにと特訓されました。

 

そりなりに楽しい2泊3日でした。

しかし岐路の車の中で体調の異変を感じ始めました。

下痢が続き、体が妙にだるいです。熱もあるようでした。

その時は食あたり程度に考えていました。

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

 

 

2025年7月 2日 (水)

ピーナちゃんとの恋愛 5

Img_e8890

初日の夜はLちゃんと早朝までラブラブバトル。

二人とも爆睡中にフロントからの電話でたたき起こされました。

なぜかホテルにLちゃんのいとこが迎えに来ました。

 

空港には迎えに来ないで、なんでホテルに迎えにくるんだよ。

しかも朝早くに

典型的なフィリピ―ノのいとこ君。

とにかく2時間待てとLちゃんが伝えて、再びベッドに。

 

2時間後ホテルのフロントに降りるといとこはカフェでコーヒーを飲んでいました。

しかも我々の部屋番号のつけで・・・・・

ダイヤモンドホテルは宿泊者は朝食付きだったけど、部外者はめちゃ高かった記憶があります。

空港には迎えにこないで、いきなりホテルに来てこちらの支払いでコーヒーを勝手に飲んでるなんて、先が思いやられるいとこ君でした。

 

開口一番、昨日はすっかり忘れていたと言い訳だけしてごめんなさいの一言もありません。

やたら堂々と悪びれずにいます。

なんでも自分の非は認めないのがフィリピン流なんだとか。

たまたま約束を忘れただけで、自分は悪くないよ。その日は仕事で忙しかったんだよ。

仕事が忙しくなかったらきっと忘れなかったと思うよ とケロッとしていました。

 

口ではそう言っているが、今回いとこ君には宿泊先のホテル名までは教えていませんでした。

Lちゃんの母親にホテルを聞いて自ら迎えに来たという事は、多少気にしているという事と理解して納得することにしました。

 

カロオカンの自宅で歓迎パーティ

 

無事にLちゃんの自宅に到着。

一見マニラのエルミタ・マラテよりはるかに治安が悪そうなエリアでした。

しかしエルミタだと歩いていて危ない視線をたくさん感じたけど、このカロオカンの街はそれが全く無かったのが意外でした。

Lちゃんに聞いてみたら、カロオカンは日本人が少ないし、周辺に中国人街がたくさんあるので中国系フィリピン人ぐらいにしか見られていないのだと思うよという事でした。

だから日本語をしゃべらなければ逆に安全だよと教えてくれました。

 

Lちゃんの自宅は5軒くらい連なった長屋の1区画。長屋全体に親族が住んでいるんだそう。

だからLちやんの自宅に着いたとたんワラワラと人々が集まってきました。

お母さんは美人系のアラフォー世代。

その当時自分よりちょうど一回り年上でした。同じ干支でしたよ。

長屋の住人の話だと最初の恋人は現在地元の警察署長なんだそう。

今の旦那さんはスターシティというマニラベイ近くの遊園地で働いているとのこと。

そしてLちゃんの実のお父さんは、最初の恋人。その警察署長なんだそうです。

今でも実父との交流は続いているとのことです。

長屋の人達は聞くと何でも教えてくれるのですけど、口が軽いなと思いました。

そのうち自分の事も聞き出してペラペラしゃべるんでしょうね。

注意しなくちゃと思いました。

 

路上にテントを設置

 

お母さんを中心に歓迎パーティの準備か始まりました。

自分の座る場所も無いような狭い家なので、外でパーティの準備を手伝う事に。

ウリンという炭に火をつけてバーべキューの準備をすることになりました。

日頃日本にいる時はアウトドアに嵌っていたので炭おこしなんかはお手の物。

パマイパイというウチワを借りてあっという間に火起こし完了。

それからは焼き物担当になって魚・チキン・長串に刺さった得体のしれない肉など色々な物を汗だくになって焼き上げました。

焼き上げている間、長屋の子供達がさかんに話しかけてくるので、タガログ語の勉強にもなりました。

 

そして家の中でパーティーが始まるのかと思ったら、男衆がバランガイからテントとイス・テーブルを借りて来て、道路上に設営。

なんと道路でパーティーが始まりました。

これはフィリピンではいたって普通の事らしいです。

いつの間にか音響設備まで設置され大音響で音楽が流れ始めました。

フィリピンでは近所迷惑という言葉が存在しないようです。

どんだけ来客が来るんだよというくらい、次々にゲストが集まり結局なんのパーティだったのかわからないくらいでした。

ゲストはそれぞれお酒や食べ物を持ってきてくれるので、終始食べ物が無くなることは無かったです。

人気だったのはカラオケ。当時街頭にあった1曲5ペソのカラオケマシン。誰が持ってきたのかわかりませんが、パーティ半ばから設置され歌い放題。

凄い人気でしたよ。おそらくパーティに全く関係ない人まで歌っていたと思います。

 

こんなこともあるかと思ってタガログ語の曲も何曲か練習してました。

レイ・バレラの曲は数曲覚えていたし、ちょうどその当時流行っていたアイザ・シゲラの新曲もなんとか歌えるように練習してきました。

パーティの中盤でLちゃんの日本人の恋人として紹介された時に、カラオケのリクエストが入りました。

やっぱカラオケ好きの国民だからリクエスト来ると予想していたのがビンゴでした。

そこで覚えたてのREY VALERAの名曲であるKUNG KAILANGAN MO AKOを披露。

日本人がタガログ語の歌を歌うなんて、ゲスト達は皆驚いていました。

そのあとLちゃんの親族たちとめちゃ打ち解けたのは言うまでもありません。

 

25年たった今でもタガログ語曲、 日本ではOPMと呼ばれていますが、たまに歌っています。

 

そろそろお開きになるころ、いとこ君が話しかけてきました。

3日間休みをもらったとのこと。

最初何の話かよくわかりませんでしたが、

ドライバーをするから行きたい所があれば連れて行くよという話でした。

 

最初は印象の悪かったいとこ君ですが、意外といい奴だなと思い始めました。

 

次回に続きます。

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

2025年6月30日 (月)

ピーナちゃんとの恋愛 4

Dscf0236

マニラに到着(2000年8月)

 

Lちゃんはというと、マニラの空港に到着してドアが開くまで爆睡状態でした。

機内を降りるとムッとした熱気が感じられました。

これがフィリピンかという実感がわきましたね。

通路には車イスを押したスタッフがずらりと並んでいます。

足の悪い人がこんなに乗っていたのかと最初は思いましたが、これはフィリピンあるあるの1つ。

身障者ではなくてもお年寄りなら誰でも乗れるんだそうです。

さすがに日本人は誰も乗っていませんでしたけど、さっきまでピンピンと歩いていたピーナおばさまが乗っていましたよ。

 

世界一やばい空港

 

時期は2000年8月 当時はマニラの国際空港が世界ワースト1の悪名を誇っていたので、かなり心配していました。

しかしイミグレーションは難なく通過。スーツケースを受け取り空港ビルを出る最後の荷物検査でひと悶着。

キモチ キモチだけと言われ、訳のわからないチップを要求されました。

Lちゃんに助けてもらう予定だったのですが、なぜか委縮してしまって何も反論してくれません。

仕方がなくキモチナイと無表情で何回も言い返していたら、あきらめて通してくれました。

毅然とした態度が必要かもしれません(笑

 

空港の出口には柵があって人相の悪い群衆が何百人も人待ちしています。

そのうち半分くらいは泥棒で、ターゲットを見定めているとか。

そんな話を後で聞かされました。

 

Lちゃんは空港で現地プロモーターと待ち合わせ。

間もなくプロモーターがやってきて、Lちゃんは支払いを済ませます。

さらに1か月分の給料を現地プロモーターが徴収するのです。

なんで空港で徴収するのかというと、フィリピン人はおカネがあるとすぐに使ってしまうので、空港に待機していてすぐに回収するのだそうです。

Lちゃんとプロモーターがかなりもめています。

1か月分の給料以外にマニラでのダンス練習時の経費まで別途徴収されたようで抗議していたようです。

最終的に強制徴収されたみたいで、おカネが無くなっちゃったと嘆いてました。

それでも5分後にはケロッとしていました。

陽気で明るいピーナちゃんなので、立ち直りも早いです。

 

とりあえず彼女の実家に寄ってからホテルに移動する予定です。

Lちゃんのいとこが迎えに来るはずなんですが、連絡が全く付かないようです。

前日にも連絡してあるので来るはずというので待ちましたが、1時間たってもくる気配もありません。

いとこの携帯は鳴っているようですが、応答は全く無しです。

仕方なく2時間待ったらLちゃんの自宅には帰らずにホテルに直行するという計画に変更しました。

ちなみにLちゃんの自宅はマニラのカロオカンというところです。

 

くそ暑い中、2時間待ってやっと空港からタクシーでホテルに向かう事にしました。

予約した宿はマニラベイを見渡せるマニラのダイヤモンドホテルです。

 

さすがにこの時はLちゃんがタクシーの料金交渉をしました。

今はグラブタクシーがありますが、当時は悪名高いぼったくりタクシーが主流でした。

2000年当時のマニラは貧困層も多く、タクシーなどドアロックしていないと勝手にドアを開けられ荷物を盗まれるという状況でした。

実際、信号で止まるたびに子供達に取り囲まれおカネを要求されました。

無視すればいいだけですが、慣れていないので気分的にはあまり良くありませんでした。

特に日本人は狙われるとタクシーの運転手も言っていたので気をつけようと思いました。

 

凄い渋滞の中30~40分で到着。

72618 184275043

ダイヤモンドホテルはセキュリティもしっかりしていて想像以上に良いホテルでした。

部屋から見るマニラベイの夕日がとてもきれいで印象的でしたよ。

食事も良かったですが、夜のプールも素敵でした。

Ho21010845831 Mnl0001413

ちなみにダイヤモンドホテルは今でも健在です。

 

当時はまだデジタルカメラが普及していなくて、フィルムカメラが主流でした。

一眼レフだと一瞬で盗まれそうだったので、流行っていた写ルンですを多数持参。

帰国後に現像したらすべてセピアカラーのような変な色の写真になってしまいました。

おそらく空港のエックス線にやられたのだと思います。

 

今晩はホテルでゆっくりとして明日の夕方ごろにLちゃんの自宅に行くことになりました。

結局初日はLちゃんのいとことは全く連絡が付かずじまいでした。

 

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

2025年6月28日 (土)

ピーナちゃんとの恋愛 3

Img_e8926

ピーナの恋人は22才

 

ピーナちゃんの恋人 Lちゃんが出来たから人生バラ色でした。

日本人女性と違って愛情が深いです。とことん尽くしてくれます。

たまに度が過ぎてうざったい時もありますが、愛されているということで気にしないことにしました。

夜は夜で相性がとても良く、こんなに濃厚だったのは初めてでした。

 

少し気になったのは、生活習慣の違いです。

あまりにもギャップが大きかったので戸惑いましたが、フィリピンの生活文化を学ぶことである程度は解消出来ました。

自分が常識だと思っていたことが、まるで通用しないことは日常茶飯事。

日本流を相手に押し付けても溝が大きくなるだけ。

双方の理解が必要だと気が付きました。

これが原因で離婚する国際カップルも多いです。

 

恋人になってからは、お店に行く回数も減りました。

経済的なことも考慮してくれてるようです。

というか恋人になれば、お店に行かなくても会える裏技も真剣に考えてくれます。

その当時は管理も緩かったので抜け道もたくさんありました。

 

そんなこんだで6か月の就労期限も終わりに近づき帰国することになりました。

 

初の同伴帰国(2000年8月)

 

Lちゃんの唯一のお願いは、一緒にフィリピンに帰りたいという事だったのです。

こんな機会はめったにないと考え必死にプランを練りました。

たまたまLちゃんのプロモーターとは、飲みに行く様な仲になっていたので、タレント達と空港まで車で送ってもらう約束になっていました。

自分は8人乗りのワンボックスに乗っていたので、日ごろプロモーターに頼まれて空港までタレントの送迎手伝いをさせられていたからなんですけどね。

当時1店舗あたりおよそ20~30人のタレントがいたので、空港までは車2~3台ないと送迎が出来なかったからです。

マイクロを借りることもあったのですが、乗り切れない日もあるので比較的手配の楽なワンボックスにしているようです。

 

Lちゃんのサヨナラの日。閉店1時間前の深夜にお店に行き、お店閉店後タレント達とワンボックスに乗り込み成田空港へ。

途中タレントの1人が大事な荷物をアパートに忘れてきたと泣き出して、いったんアパートに戻り時間ロスに。

空港で彼女らに6か月分の給料を払うので、空港での時間が結構かかるのです。

自分はお店から給料をもらうのだと思っていましたが、実際は日本側のプロモーターが支払うシステムでした。

お店が払うのは、ポイントバックのみ。指名や同伴料、ドリンクなどのバックだけです。

それでもLちゃんは日頃セクシーダンスショーを担当していたので、チップはかなりあった様です。

大体1人1.000円なんですが、気前の良いおじいさんからは10万ももらったと喜んでいた事がありました。

 

空港には早朝に着きました。

プロモーターが忙しそうにしています。レストランで彼女達の給料の支払いが始まりました。

正確な金額はわかりませんが、6か月タレントの場合、初来日(FT)で24~30万。

日本のプロモーターに1か月分引かれるから20~25万くらい。

さらに帰国するとマニラの空港で現地プロモーターからまた1か月分引かれます。

また給料の前借しているタレントはそれも支払わなくてはならないので、空港で無一文になるタレントもいるそうです。

ただしベテランさんになると、給料も違います。

空港で一番給料が凄かったのは、来日5回目の超ベテランピーナ。お店でも売上トップのタレント。

給料袋が縦にテーブルに立っていたので、どのくらい入っているのかな。興味津々です。

このタレントの噂話ですけど、お客さんに今回フィリピンで車を買ってもらったとの事です。

すでに住宅はフィリピンで購入済みで、いい生活をしているようです。

Lちゃんからしたら雲の上のような存在ですね。

Dscf0220

給料清算が終わったら搭乗です。

航空会社はフィリピンエアライン(PAL)です。便名はわかっていたので同じ便の搭乗券を購入済みでした。

でも席は遠く離れています。

カウンターのスタッフにお願いしたら、快く隣同士の席に変更してくれました。

PALも予想外に親切だったのでびっくりしました。

 

当時のPALの乗客層

まず服装が一般客とは明らかに違いました。

白のジャージ上下にサンダル姿、またはデカい刺繡の入ったジャケットにこれまた刺繍の入ったGパン姿。

持ち物はシーフードカップヌードルのケースをガムテープで3~4箱くくり付けた物。

そして体格は太っちょでサングラスにアポロキャップ。頭髪はつるっ禿で太い金のネックレスをしている。

こんな日本人ばかりでした。

あきらかにやばい感じでしたね。

まあ自分はさすがにそんな恰好はしませんが、同類であることには間違いありません。

 

ちなみに今年の4月に行ってきましたが、そんな日本人達は全くいなくなりました。

マニラ行の飛行機は、日本人でなくフィリピン人が多数です。

日本人はピーナの奥さんと一緒のおじいさんか、若い学生さん達が目立ちました。

学生達はおそらく語学研修の一行かと思われます。

 

Lちやんと初の同伴帰国がやっと実現出来ました。

フィリピンエアラインはほぼ満席。

定刻になってもドアが閉まりません。搭乗予定客がまだ搭乗していないということです。

20分後に機内に堂々と入ってきたのは、フィリピン嵌り風のおじさん。

自分のために出発が遅れているという事に全く気付いてないようです。

冷たい視線をたくさん浴びているはずなのなに、悪びれることも無くキャビンアアテンダントにドリンクを頼んでいる無神経ブリ。

やはりフィリピン嵌りの方は、一般常識からは外れているんだと再認識しました。

 

やっとPALは離陸体制に入りました。

フライトは約4時間。

アテンダントのお姉さんのきれいさにびっくり。

Lちゃんには気づかれないようにミルミルしてました。

機内食は香料の匂いがきつかったけど、一応は完食出来ました。

 

Lちゃんは食事後に爆睡。

寝ないで空港直行だったので仕方ありません。

4時間後ぐんぐんと高度が下がり、バラックのような家並みと高層ビル群が見えました。

道路は大渋滞で混沌としている様子が一目でわかりました。

異国の地 フィリピンに到着しました。

 

Lちゃんはと言うと二ノイアキノ国際空港に着陸してもまだ爆睡状態でした。

 

10日間の初フィリピン旅行の始まりです。

予想外の大波乱が待ち受けているとは、その時は全く気が付きませんでした。

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

2025年6月26日 (木)

ピーナちゃんとの恋愛 2

550

上司が自分がフィリピンパブ遊びが嫌いではないなと判断してからは、急にお店に行く回数が増え始めました。

といってもおこずかいで遊べる範囲が超えるとかなりきつくなります。

そのためにやりたくもない残業に熱心になっていきます。

上司がおごってくれる回数も増えたのですが、いつまでも甘える訳にはいきません。

 

そこで上司のアドバイスをもとに始めたのが、副業のアルバイト。

勤務先の子会社が人出不足だったのでその補充要員です。

発送業務なんですが勤務時間が夜7時から深夜~早朝にかけて。

注文を受けた商品を翌朝出荷するための業務でした。

副業としては夜遊びの口実も出来るし、小遣い稼ぎも出来るので良かったのですが、日常的な睡眠不足になってしまいた。

本業にも差し障るので週3日が限度でした。

 

 

そんなこんだで、色々な所のお店にも遠征することになりました。

その当時、上野・錦糸町界隈が一番フィリピンパブが盛んなエリアでして週末は朝帰りも多かったです。

このころには単独行動も出来るようになり、遊ぶエリアが一気に広がりました。

 

Lちゃんとの出会い

 

そんな中、地元のお店でLちゃんと出会います。

ビサヤ地方出身のピーナちゃんで、スタイル抜群でしかも巨乳ちゃんでした。

子持ちでしたが、とても性格の相性も良く指名するようになりました。

当時自分は結婚していましたが、それを隠すことも無く、すべてありのままを話すようになりました。

タレントとして働きに来ているピーナちゃんは、独身のお客さんと恋仲になって結婚するのが流行でした。

だから独身と偽っているお客さんがたくさんいたのです。

独身と言えば誰でももてていた時代ですから・・・・

 

自分は嘘を付くのが嫌だったので、本当の事だけを話していました。

それが逆に気に入られたのか、親密度が日増しに強くなっていきました。

まるで恋人のように接してくれて、こちらも恋のマジックにかかってしまいました。

性格良し、スタイル良し、巨乳ちゃん、まあルックスは普通。

どちらかというと浅黒い現地系の顔立ちでしたが、日本人女性にはない優しさと、親身に尽くしてくれる態度にラブラブ状態になってしまいました。

ある日 彼女から愛の告白を受け、自分も了承しました。

こうなるとピーナちゃんの行動力はめっちゃ早いです。

あっという間に深い関係になってしまいました。

 

あっちの相性も素晴らしく、もう離れられない状況になってしまいました。

恋人関係なってから驚いたのは、ピーナちゃんの嫉妬力の凄さです。

他の店に行ったことがばれたら修羅場が訪れました。

ただし日本人の奥さんについては、最初からいると話してあったので嫉妬の対象からは外してくれました。

離婚して自分と結婚してくれとは決して言われなかったのが幸いでした。

でも態度ではビシビシと伝わってきて心は常に痛かったです。

 

Lちゃんは日本で半年働いて、帰国して数か月で戻ってきてまた半年働くという事を繰り返していました。

その間、自分はタガログ語の勉強するために都内のタガログ語教室に通いました。

生徒のほんとんどは日本人女性で、赤十字のスタッフなどボランティア関連の方が多かったです。

男性陣はというとPパブ嵌りのおっさんと変わり種は警察幹部。

国際捜査のためタガログ語を勉強しに来ていました。

教室は週1~2回2年間通い、最終的にはなんとかしゃべれる程度にはなりました。

 

そしてLちゃんとの初渡比を迎えます。

2000年8月でした。

この時はまだタガログ語は超初心者状態。

翻訳アプリなどはまだ無い時代でした。

 

 

次回に続きます

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

 

2025年6月24日 (火)

ピーナちゃんとの恋愛 1

Binondoといいます。

長年 フィリピンパブ遊びをしてきました。

今回はピーナ(フィリピン人女性)ちゃんとの恋愛についてシリーズで書いていきたいと思います。

Img_e5345

更新は不定期ですがご勘弁ください。

 

初めてのフィリピンパブ

 

自分が初めてピーナちゃんを知ったのは、二次会で上司にフィリピンパブに連れて行ってもらったのがきっかけです。

時期は1999年の12月でした。

同時、会社の景気も良く何かというと飲み会が多かった時期です。

一次会は安い居酒屋で飲んで、二次会はキャバクラ・風俗・フィリピンパブといくつかのグループに分かれて、ぞれぞれ分散して遊んでいました。

 

直属の上司はフィリピン好きで知られているお方でした。

自分は風俗派でしたが、たまたま誘われてフィリピンパブに連れていかれました。

これが初めてでした。

それまでフィリピンパブと言うジャンルには全く興味もありませんでした。

ただ日本のキャバクラより安く、若いフィリピン人女性と出会えるということでかなり人気があったことだけは認識していました。

 

自分が住んでいる街にも30軒以上のフィリピンパブがあったと思います。

次々に新しいお店がオープンしていた時代ですね。

路上の捨て看板もフィリピンパブオープンの告知が多かったです。

25年前ですが、まさにフィリピンパブ全盛期だったと思います。

 

初めて入ったフィリピンパブの印象はあまり良くなかった記憶があります。

なぜ上司はこんな所に嵌っているのか理解できない感じでした。

 

まず香水の匂いがきつすぎでした。

それに日本語が出来ないキャストが7~8割もいました。

当時はタレント(興行ビザで来日しているフィリピン人女性)が主力でした。

しかもほとんどが初来日のピーナばかり。

だからコミュニケーションは英語かタガログ語になります。

上司は英語が堪能なので全く問題も無いようです。たまにフィリピンの言語であるタガログ語もしゃべっていました。

 

自分は英語力が乏しかったので会話も難しく、なかなか打ち解けて話すことも出来ませんでした。

これらの理由が、フィリピンハブがあまり好きではない理由でした。

上司から誘われたから行ったけど、自ら行くことは無いなとその時は思っていました。

 

1999年12月から2000年1月にかけては忘年会・新年会のラッシュでした。

普段は飲み歩かない自分でしたが、会社の付き合いなので仕方なく参加していました。

そして2次会になると上司から誘われてフィリピンパブへ。

なんで上司が自分を誘うのか最初はわかりませんでした。

しかし同僚からの話だと、上司がフィリピンパブ通いするための口実として利用されているという事でした。

飲み代も2回に1回は上司が払ってくれていたので、出世のためにとことん付き合うことにしました。

 

これがピーナちゃんに嵌っていくきっかけです。

 

次回に続きます。

 

 

 

PVアクセスランキング にほんブログ村

 

 

 

«フィリピン国鉄(PNR)TUTUBAN~ALABANG