ピーナちゃんとの恋愛 4
マニラに到着(2000年8月)
Lちゃんはというと、マニラの空港に到着してドアが開くまで爆睡状態でした。
機内を降りるとムッとした熱気が感じられました。
これがフィリピンかという実感がわきましたね。
通路には車イスを押したスタッフがずらりと並んでいます。
足の悪い人がこんなに乗っていたのかと最初は思いましたが、これはフィリピンあるあるの1つ。
身障者ではなくてもお年寄りなら誰でも乗れるんだそうです。
さすがに日本人は誰も乗っていませんでしたけど、さっきまでピンピンと歩いていたピーナおばさまが乗っていましたよ。
世界一やばい空港
時期は2000年8月 当時はマニラの国際空港が世界ワースト1の悪名を誇っていたので、かなり心配していました。
しかしイミグレーションは難なく通過。スーツケースを受け取り空港ビルを出る最後の荷物検査でひと悶着。
キモチ キモチだけと言われ、訳のわからないチップを要求されました。
Lちゃんに助けてもらう予定だったのですが、なぜか委縮してしまって何も反論してくれません。
仕方がなくキモチナイと無表情で何回も言い返していたら、あきらめて通してくれました。
毅然とした態度が必要かもしれません(笑
空港の出口には柵があって人相の悪い群衆が何百人も人待ちしています。
そのうち半分くらいは泥棒で、ターゲットを見定めているとか。
そんな話を後で聞かされました。
Lちゃんは空港で現地プロモーターと待ち合わせ。
間もなくプロモーターがやってきて、Lちゃんは支払いを済ませます。
さらに1か月分の給料を現地プロモーターが徴収するのです。
なんで空港で徴収するのかというと、フィリピン人はおカネがあるとすぐに使ってしまうので、空港に待機していてすぐに回収するのだそうです。
Lちゃんとプロモーターがかなりもめています。
1か月分の給料以外にマニラでのダンス練習時の経費まで別途徴収されたようで抗議していたようです。
最終的に強制徴収されたみたいで、おカネが無くなっちゃったと嘆いてました。
それでも5分後にはケロッとしていました。
陽気で明るいピーナちゃんなので、立ち直りも早いです。
とりあえず彼女の実家に寄ってからホテルに移動する予定です。
Lちゃんのいとこが迎えに来るはずなんですが、連絡が全く付かないようです。
前日にも連絡してあるので来るはずというので待ちましたが、1時間たってもくる気配もありません。
いとこの携帯は鳴っているようですが、応答は全く無しです。
仕方なく2時間待ったらLちゃんの自宅には帰らずにホテルに直行するという計画に変更しました。
ちなみにLちゃんの自宅はマニラのカロオカンというところです。
くそ暑い中、2時間待ってやっと空港からタクシーでホテルに向かう事にしました。
予約した宿はマニラベイを見渡せるマニラのダイヤモンドホテルです。
さすがにこの時はLちゃんがタクシーの料金交渉をしました。
今はグラブタクシーがありますが、当時は悪名高いぼったくりタクシーが主流でした。
2000年当時のマニラは貧困層も多く、タクシーなどドアロックしていないと勝手にドアを開けられ荷物を盗まれるという状況でした。
実際、信号で止まるたびに子供達に取り囲まれおカネを要求されました。
無視すればいいだけですが、慣れていないので気分的にはあまり良くありませんでした。
特に日本人は狙われるとタクシーの運転手も言っていたので気をつけようと思いました。
凄い渋滞の中30~40分で到着。
ダイヤモンドホテルはセキュリティもしっかりしていて想像以上に良いホテルでした。
部屋から見るマニラベイの夕日がとてもきれいで印象的でしたよ。
食事も良かったですが、夜のプールも素敵でした。
ちなみにダイヤモンドホテルは今でも健在です。
当時はまだデジタルカメラが普及していなくて、フィルムカメラが主流でした。
一眼レフだと一瞬で盗まれそうだったので、流行っていた写ルンですを多数持参。
帰国後に現像したらすべてセピアカラーのような変な色の写真になってしまいました。
おそらく空港のエックス線にやられたのだと思います。
今晩はホテルでゆっくりとして明日の夕方ごろにLちゃんの自宅に行くことになりました。
結局初日はLちゃんのいとことは全く連絡が付かずじまいでした。
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