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2005年8月31日 (水)

ダメな仕事

フィリピンでは、成功しにくい仕事がいくつかあります。サリサリショップ・ラーメン屋・米屋などなど捜せば結構あるようですね。

ではサリサリショップについて、ちょっと書いてみましょう。サリサリとはいわゆる日本のよろずやといった感じでしょう。よろずやといっても現在は死語なのかな、コンビニの縮小版といえばわかりやすいでしょう。薬から雑貨・食料品・はては衣料品まで生活に必要とおぼしき物はすべて取り扱っています。街中の至る所に存在します。自宅の片隅を1~2坪の店舗として開業している所が多いです。しかも わずかな資金でも開店できるので、始める人達が多いのでしょう。なんせ至る所にあるので、庶民感覚でとても便利なのです。商売としてはとても薄利だと思います。仕入れも卸からではなく、近くのスーパーマーケットなどから仕入れているのが実情です。しかもお客さんはご近所さんですから、当然ツケで買ってますね。この現金販売が少ないというのも経営を圧迫している理由の一つでしょう。それと家族たちの日常的な着用。これが意外とでかいようです。家族たちは自分の店だから、当然お金は払いません。しかも毎日ですからね。結構な金額になっていくようですよ。

以上のことから、つぶれていくサリサリも多いと聞いています。逆にすべて現金販売で、仕入れも工夫し、家族の着用も無ければ そこそこの商売でしょうね。

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2005年8月30日 (火)

石鹸工場2

結局、総合的に判断すると、Bちゃんは知人の石鹸工場オーナーにうまく乗せられていることが判明しました。やはり二番煎じではいけません。しかも専門的知識がないとダメですね。工場のスタッフにこっそり聞いた話ですけど、生産工程での爆発事故はちょくちょくあるそうです。過去に何人か亡くなっているそうです。現地では保障もほとんど無いそうですね。やはり羽振りのいいのは、オーナーだけのようです。とりあえず保留ということにしました。

息抜きにパレンケ(市場)へ買い物に。ここはいつでも人でごった返しています。夕方などは特に人がいっぱいで歩けないほど混雑します。どうせやるなら市場で商売なんかもいいですね。美人のお姉さん方もたくさんいますしね。(笑)

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2005年8月29日 (月)

石鹸工場1

後日、持参した事業プランを検討いたしましたが、今ひとつ具体的ではありませんでした。そこで、まずBちゃんの知り合いの石鹸工場を視察してきました。ここは中規模の設備とそれなりのベテランスタッフが仕事を仕切っていました。小さいながらも活気があり、販売ルートもしっかり確立されているようで、景気も良さそうでした。なんなら下請け工場としてやってみないかというお話もいただきました。

その後、Bちゃんの工場予定地を視察しました。これまたジャングルの中ですよ。フルーツは取り放題ですが、電力とか水道は本当に引けるのでしょうか?一気にいろいろな問題点が出てきました。仮に下請けとしてやっても採算がとれるのか検討もしてみました。

計画の詰めに入れば入るほど難しい課題がでてきます。う~ん これは難しそうです。

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2005年8月28日 (日)

次の仕事?

ひょんなことからかつてのタレントBちゃんと知り合いになりました。日本には静岡・山梨・東京と3回行ったことがあるそうです。日本語も何とか理解できる程度はOKなので助かりました。Bちゃんはまた日本に行きたいそうですが、この状況では難しいのでここでの仕事を探しているとのこと。自宅はマニラ郊外の高台にあるシティ。高級住宅街もあり環境も良いところです。彼女はそこから少し離れた一応ビレッジと呼ばれている所に住んでいました。亡くなった母親は資産家だったので、それまではまあまあの生活をしていたようです。財産はほとんど父親が引き継ぎ、新しい愛人と新しい生活をはじめており、実子の面倒は一切見ないらしい。いかにもフィリピンらしい話です。

家庭環境を調査する為に幾度か訪問してみました。本人も含め兄弟にはそんなに悪そうな人達はいなかったですね。彼女の提案したプランは石鹸の生産でした。実家の土地に工場をたてて石鹸の製造をするというものでした。もちろん今回は半端なお金ではできそうもない事業です。当然ミリオン単位の話です。とりあえず詳細なプランを作るようにお願いして、再度検討することにしました。

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2005年8月27日 (土)

バブイビジネス6

その後 数年が過ぎ養豚業も順調だそうです。副業で始めたレンタルバイクとドライフイッシュの卸業もまあまあらしい。一族全員で忙しくしているようでなによりです。

訳あって搾取はあきらめましたが、たまに現地に入ればVIP待遇の歓迎を受け、特にたかられることもなく、充実した日々を過ごすことが出来るのでこれにて終了ということにしました。誕生日とクリスマスのプレゼントはいまだに続いているし、とにかく義理堅い人達ですね。

《結論》

仕事が軌道に乗ってきたら、現地にはいるべし。人任せではダメです。日本にいては話になりません。人間的には実直でよく働く人たちだったので合格でしたが、とにかく場所が悪かったです。あんな田舎では定住するのはかなり勇気がいります。場所選びも大事ですね。養豚業は日々の苦労の割りに利益が少ない仕事です。ただし副業としてなら結構いけるかもしれません。地方で他に仕事が見つからない時は、選択肢のひとつにはなるでしょう。

また、次の仕事に向けて頑張ります。

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2005年8月26日 (金)

OPM

kn1n OPMとはORIGINAL PHILIPPINES MUSICの略だそうです。簡単に言えばフィリピンで作られた音楽のことです。現地のCDショップに入ってみるとまず目に付くのは、欧米でリリースされている英語の曲。その片隅にOPMというジャンルの区分けを見かけます。いわゆる輸入物でなくフィリピンで作られたCDのことです。

OPMという言葉は、よく考えるとなんか不自然な言葉ですよね。実際、日本では日本の歌をOJMとは言わないでしょ。これはたぶん、フィリピンはハロハロ文化(歴史上いろいろな国に支配されていたので、いろいろな文化・風習が混在しています)だから音楽業界がジャンル分けのために作った言葉だと思いますよ。日本でいえば演歌みたいなジャンルのひとつになるのでしょうね。

CDショップを覗いてみるとやはり日本と同じで、若者に人気なのは断トツ欧米のCDですね。OPMはちょっとダサイと感じている若者もややいるような気がします。

OPMは一般的にタガログ語の歌と、英語の歌の両方があります。厳密に言うとビサヤ語や他の地方の歌もこれに入るんでしょうね。はじめて聞いた時は、正直言って なんかみんな同じ曲に聞こえて、暗いなあ~という印象しかなかったですね。でも聞き込んでいく内に、心の奥底まで染み渡ってくるような曲に出会ってから段々と嵌っていく自分に気が付きました。このジャンルは奥が深いのです。

もともとOPMを聴くようになったのは、タガログ語教室の先生に毎日タガログ語に接しなさい。音楽でもラジオでもいいからとにかく聴く習慣を身につけるようにとアドバイスされたのがきっかけです。

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2005年8月25日 (木)

EMS

ある日、EMSの小包が届きました。Aチャンの実家からでした。さっそく開けてみるとハッシュパピーの靴。サイズもぴったりで、しかもデザインもグット。でもこれは何のプレゼントかな?良く見るとバースデーカードが入っているではありませんか。自分でも忘れていました。涙が出るほどうれしかったです。でも日本でも高いのになあ~と少し心配。

《後日談》

気に入って毎日履いていましたが、洗濯のとき赤いソックスが多いのに気がつきました。自分では赤のソックスなんて買ったこと無いのにと調べてみたら、判明致しました。なんと靴の中敷がまさに赤色でした。本物は色落ちなんかしたかな~。(笑)

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2005年8月24日 (水)

バブイビジネス5

半年後、多少の病気やさまざまな問題もあったようですが、ブタ達は順調に生育したようです。

ただここはど田舎、マニラと違ってクリスマスや特別のイベントが無い限りブタなどめったに食べないということです。スクワッターこそいませんが、皆ぎりぎりの生活をしているということみたいです。当然、価格も低レベル。今回は頭数も多いのにそれほどの利益は出ませんでした。

1頭あたり1.000Pの利益といったところです。半年もかかってこれだからやってられないですね。

何頭かは米と交換しました。大体1頭に付き 米4袋。1袋50キロ弱だから200キロくらいかな。こちらの方がなんか得した雰囲気でした。

ここまでやってみて、結論。飼育している家族はそれなりに潤っていますが、自分はまだ無報酬です。感謝の気持ちは痛いほど伝わってきましたが、気持ちだけではメシは食えません。もっともこんなはした金を搾取しても気分が悪いので、もっと大きい気持ちで見守ることにしました。

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2005年8月23日 (火)

バブイビジネス4

やがて クリスマスシーズンが近づきました。子ブタ達はもうりっぱな大人です。体重にして90~100キロぐらいかな。そろそろお別れの時がやってきました。トラックに積み込まれる時、悲鳴のような泣き声をしたそうです。たぶんこれから先どうなるのか、察しがついているかのようですね。

最初は12匹でスタート。だいたい1匹5.000P前後で売却できました。最初なので利益はすべて次回の飼育へ回すように指示しました。問題はおばちゃんの半年分の給料を払ってしまうと利益が半分になってしまうこと。Aちゃんともよく相談し出世払い(爆)にしてもらいました。都会と違って貪欲な人達でなくてよったったと思いました。

糞尿の始末は近くの農家に引き取ってもらい、かわりに野菜や果物をもらうことにしたそうです。駆引きは結構上手なようです。

以前と変わったことといえば、ハエが異常に増えたこと。日によってはすさまじいらしいです。たまに消毒しているようですが、全く追いつかないそうです。とりあえずハエタタキを10本ほど送ってみました。(爆)

Aちゃんも仕事になると考えたのか、勝手に自分で投資してブタ小屋を拡張し25匹まで飼育可能となりました。こうなるとやや本格的です。いつの間にかスタッフも何人か増えたようです。次回には若干の配当でもでるかなと期待しつつ様子を見守ることにしました。

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2005年8月22日 (月)

バブイビジネス3

まず彼女のことを仮にAチャンとしよう。Aちゃんはいわゆるエンターテイメントで、日本は3回目のややベテランPナです。家はマニラにありますが、養豚をするところはど田舎の実家だそうです。都会では場所と臭いの問題でほとんど不可だそうです。ほんとはマニラ郊外でやった方が高値で売れるので良いとは言っていましたが、伝手も無いので今回は見送りました。

その実家は観光地として有名なある島の山奥でした。空港からバスで約2時間、四駆のバスに乗り換えて山奥に入り約1時間半で到着しました。まさにジャングルの中です。数キロ毎に集落があるといった感じのところでした。なんか途中政府軍の検問が何箇所かあり、反政府ゲリラ(NPA・アブサヤフ)がいっぱいいそうでヤバそうな雰囲気が漂っていました。日本人と気づかれない方が良いというアドバイスを事前に受けていましたたが、冗談ではなく本当だったんだと実感いたしました。コワ~(冷汗)

幸い 自分は地黒でよくPノに間違われる方なので、大丈夫・大丈夫と念じて気にしないように振る舞いました。

到着したら大勢の人々に歓迎されました。バランガイの人達かなと思ったらなんと38人の大家族でした。いくつかの離れはありますが、こんな家に(失礼)こんなに住んでいるとは驚きでした。娯楽などほとんど無いこの集落でどうやって過ごしているのかなと思いましたが、子供達はそれなりに楽しんでいるようでした。自分は子供の手なずけが上手いせいか、あっという間に人気者になり、ジャングル探検や川遊びに引っ張りだこで休む暇も無い状態でした。

携帯電話の電波が全く無い状態なのにTVは結構きれいに映っていましたね。なぜかプレステ2があり、三国志無双のゲームでは秘密アイテムのとり方を子供達に伝授してあげたら、まさにヒーロ扱いです。おかげで寝る時間もなくなりました。

すごいのはトイレです。もちろんフィリピンスタイルはすでに慣れていましたが、便器が無いのは初めてなので戸惑いました。地面が透けて丸見えの板の間に、用を足す部分に穴が開いているだけのシンプルな構造。あとはお決まりの大きなバケツとひしゃくがあるだけです。トイレに入るとなぜかニワトリがたくさん下に集まってきます。そうです。ウンチはニワトリのエサなんですね。慣れないと緊張して用も足せないですよ。いい意味では環境にやさしいトイレでもあります。

翌日、ブタ小屋の位置決めをしました。あまり近くても臭いし、遠くても大変なので、少し離れた所にある作業小屋を取り壊して作ることにしました。もちろん拡張も出来るようなスペースも木々を伐採して作ることになりました。

水利も確保し、床はコンクリートで掃除がしやすいように排水が上手くいくように設計してもらいました。臭いの主原因となる糞尿置き場も風向きを考えて設置しました。ブタの世話はAチャンのおばちゃんが責任者として面倒を見ることになり、サラリーは月2.000Pで話がまとまり、もちろんAチャンも責任を持って監督してくれるそうです。あとは工事が始まって子豚を待つばかりです。

自分がこの島を旅立つ日に工事の材料が大量に到着しました。どうやら知り合いの職人さんが作ってくれるようです。

プランとしては、子豚の仕入れ1匹800~1000P。 約4~5ヶ月で成長。エサ代はピンからキリまであるが1匹あたり成長まで2.000Pと計算。成ブタ(100キロ)1匹5.000Pぐらいで売却の予定だから利益は1匹あたり2.000P。う~んあまりおいしい仕事ではなさそう。問題はエサ代をいかに安く抑えるとここと、衛生管理。病気になってしまえば全滅もありますからね。成ブタで1日エサ3キロ、水10リッターも飲むそうだからすごいですね。成ブタになる前に売るのが一番らしい。売る時期を逃すとエサ代で利益が無くなるそうです。そして親戚のアドバイスもあり一番価格の上がるクリスマス前に出荷できるように予定を組むことにしました。

とりあえず最初は親戚の養豚場からお祝いとして子豚8匹をタダでもらうことになりました。ラッキー!

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2005年8月21日 (日)

ジプニー

n ジプニーは手軽な庶民の足であるが、大気汚染の主原因とも言われている。もうもうと吐き上げる黒煙は悩みの種でもある。

興味深い記事があったので引用するが、新エンジンが普及するにはかなりの年月がかかりそうである。

いすゞの現地法人「イスズ・フィリピンズ」(小村嘉文社長、従業員約六百五十人)がこのほど、「庶民の足」であるジプニー用の新エンジンの販売を開始した。比独特の公共交通機関、ジプニーの九割以上がいすゞの中古エンジンを使っているとみられ、大気汚染防止法に基づく排ガス規制強化の中、エアコン・ジプニーなどを中心に売り込みを図る。黒煙をまき散らし、大気汚染の象徴的存在のジプニーだが、新エンジンで汚染軽減が期待できるという。 (マニラ新聞より)

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バブイビジネス2

しばらくして、彼女から返事がありました。

親戚で養豚業をしていて、なんとか一族全員が暮らせている家があるらしい。そこでなにやらアドバイスを受けてきたようだ。養豚小屋建築費と子豚8匹そして当面のエサ代すべてで40.000Pだそうだ。う~ん日本円で約8万円か。正直自分で考えていた金額よりもはるかに低かった。彼女の家がど田舎なので当然か?隣家まで1キロほど離れているそうだ。これなら失敗しても怖くないないなという考えが頭をよぎる。よっしゃ はじめよう。

かくしてミニビジネスがスタートしたのであった。

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2005年8月20日 (土)

バブイビジネス1

仕事を始めるといっても、まだ現地に住んでいる訳でもなく、もちろん言葉の壁もあります。

タガログ語は正式な語学教室(お店ではありませんよ!)に通い始めて約2年半になりますが、まだまだ使い物になりません。週一回程度の学習だけでは、全然ダメですね。自主的に積極的にやれば別でしょうけど、受身ではダメということです。これは自分自身の課題でもあります。

英語に関しては長年勉強したにもかかわらず、意味がわかっても自分の意思が上手く伝えられません。(爆) よってタガログ語の勉強に精を出すことに致しました。

今思えば 非常に危険?なことですが、仕事に関してまず相談したのが、エンターテイメントの彼女です。

『養豚がいいんじゃない。土地もあるし回りに人家も無いから、臭いって文句もでないから』

『たぶんうまくいくと思うよ。とりあえず親戚に相談してみて予算立ててあげるね』

というやさしい言葉を信じて 一丁やってやるか という気になってしまいました。

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トラバホ

フィリピンに行くようになって4年の歳月が過ぎました。

最初はもちろん皆さんと同じように遊びが主目的でしたが、今は遊び+趣味+仕事で年4回ほど渡比してます。

フィリピン嵌りになってくると、現地での起業など一度は考えたことあるでしょう?

当然渡比する正当な理由にもなるわけだし、回りから白い目で見られなくなるし、妻帯者なら尚更でしょう。

しかし、これは正直言ってとても難しい問題ですね。先輩達のアドバイスは、『日本で稼いでフィリピンで消費する』これが一番だそうだ。全く最もな意見だが、現地定住を望んでいる自分には当てはまりそうもない。

そこで悪戦苦闘が始まったわけだが、最初は全く遊び感覚の乗りで始めてしまった。もちろん失敗しても大丈夫なようにお小遣いの範囲内の出資だった。

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