最初にフィリピンの地に降り立ったのは、今から5年前の2000年の6月のことでした。フィリピン航空に初めて乗ったのですが、他の国際線と違って何か異様に見える方々がいるのに気がつきました。今まで海外旅行といえばヨーロッパ・台湾・韓国が主体で、自分がまさかフィリビンにいくとは思いませんでした。フィリピンのイメージというと、犯罪者が逃亡する国、買春の国、貧困の国などなどマイナスのイメージしか無かったですね。
その異様に見える方々ですが、それは他の国際線ではあまり見ることのできない方々でした。もちろん男性ですが、共通していえるスタイルは、年のころ50歳以上、中年ぷとりで髪の毛はやや少なめ、歳のわりに派手な格好をしている、金時計や金のネックレスをしている、刺繍の入ったGパンまたは短パンを履いている、靴はスニーカーやサンダルなど。そして、そして自分の子供や孫のような若いフィリピン女性と一緒でした。(爆)やはりこれは目立ちますよ~。今はすっかり慣れましたが、当時はとても違和感を覚えたのを記憶しています。
自分はなぜフィリピンに行くかというと先輩のカバン持ちだったのです。先輩の兄弟がフィリピンにおり、ダイビングをしようということで誘われたのです。先輩はダイビングのベテランですが、自分は全く経験ありません。まして泳ぎも下手です。かなり心配ですが、先輩の『大丈夫・心配ない』という言葉を信じて付いて来た訳です。特に始めての国は緊張します。事前に色々と下調べをし、タガログ語も本で一通り勉強しました。度胸と海外旅行の経験だけは多少あったので、特に不安はありませんでした。機内は帰国のタレント達で満員です。フライトは快適でした。約4時間かかりますが、機内食が終わって映画を見ていたらあっという間にマニラに到着でした。
入管では別室に連れて行かれる日本人が多いのでビビっていましたが、問題なくパスできました。ところがいつまでたっても荷物がでてきません。30分ほど待ってやっとターンテーブルが回り始めました。しかし日本から帰国するフィリピン人の荷物はものすごい量ですね。まるで民族大移動のようです。パソコン・テレビ・ニッシンのシーフードヌードルなどなど半端ではありません。あまり荷物が出てこないのでトイレに行きました。先輩はトイレは危ないから気をつけろの一言だけ。用を足していると掃除係が何人か集まってきて、オシボリを渡してくれるではありませんか。サービスいいなあとその時は思ったのですが、右手を出して『キモチダケ・キモチダケ』攻撃を受けてしまいました。(爆)まだ両替もしてないのにお金などありません。10円玉をあげようとしたら『センエン!センエン!』攻撃です。やたらしつこかったので、サラマッと言って逃げてきました。ちょっと怖かったですね。荷物はさらに30分ほど待って出てきました。
税関を通り抜けると、目の前には異様な光景が・・・・・
うわさには聞いていましたが・・・・・そうです。とてもやばい雰囲気です。おもわず緊張感が高まります。アドレナリン噴出です。ゲートの外には泥棒としか見えない貧相な群集がいたのです。人数にして200人ぐらいでしょうか。鈴なり状態です。どう見ても迎えに来ている人達には見えませんでした。(笑)
とたんに色々な人から声をかけられます。タクシーのポン引きはやたらしつこいです。警官には携帯使っていいから千円頂戴と言われました。ここはすごい国ですね。空港からしてクレクレ人間の大集合です。先輩はというと携帯で、迎えに来るはずの弟さんに連絡とっています。渋滞で遅れるから外で待っててねだって。やばすぎです。ここは危険なので10分も持ちそうにありません。(爆)比較的安全そうな出発ロビーにあるレストランに移動することにしました。
その途中、途方にくれている日本人に遭遇しました。迎えに来るはずだったマハルコちゃんと連絡が全然取れないそうです。散々探したけどゲートの所にもいないそうです。いかにも人の良さそうなおじさんだったので、気の毒になりました。ダイヤモンドホテルはどうやら予約していたようなので、先輩と相談してクーポンタクシーの手配をしてあげました。それにしても日本語しか出来ないのによくここまで来るなあと感心致しました。その後、あのおじさんがどうなったかは不明です。たぶん何とかなったんでしょうね。1時間後にやっと弟さんがフィリピン人の奥さんと一緒に迎えに来ました。まさにフィリピンタイムです。現地に長く住んでいるこうなってしまうのかな。先が思いやられます。
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