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2005年10月22日 (土)

初渡比 6日目

今日はいい天気です。早朝からジリジリとした太陽が照り付けています。明日の昼前には空港に行かなければならないので、実質今日が最終日です。先輩と別れて別行動をしていた訳ですが、自分にとってはとてもいい経験になりました。この案を提案してくれた弟さんにも感謝しなければなりません。

10時にはシューティングクラブに入りました。コーチのアノイも気合が入っています。イメージトレーニングからはじめました。今日は時間もタップリあります。時間短縮と命中精度を上げるのが課題です。これが結構難しいのです。散々流れを練習した後、実弾を入れての練習です。3連発はだいたいマスターできました。片手撃ちもOKです。問題は最後の中の的です。これはなかなか命中しません。ゆっくり狙うと結構ロスタイムになります。通しでは昨日より30秒短縮できて60秒代になりました。目標は40秒代です。午前中だけでなんと240発も撃ってしまいました。両腕は火薬ですでに真っ黒です。手に痺れが出てきました。またしばらくイメージトレーニングです。

午後からは見学者も増えてきました。警察関係の方々でした。彼はヤクザかとしきりにアノイに聞いてます。(笑)今度うちの署にも遊びに来いと誘われました。ここフィリピンでは警官の友人がいると何かと便利だと聞いています。警官達が練習している間に、近くの食堂へ。トロトロと呼ばれるこのスタイルの食堂はとにかく安いです。わずか30P程でおなかいっぱいです。でも衛生面ではどうかな?少し不安な感じもします。

最後の所を集中的に練習。命中精度がかなり上がりました。また通しで練習です。アノイのコーチが良かったせいか、かなりいいタイムがでました。48秒で、すべてヒットです。でもアノイは満足しません。もっといいタイムが出るはずとあきらめません。一度37秒が出ましたが3発命中していません。精神を集中してトライ。結果は42秒、全発命中が自己記録でした。アノイはとても厳しいコーチでしたけど、練習外はとても優しい男です。次回は一緒に飲みに行く約束をして別れました。お土産にシューテイングクラブのスタッフベストをもらい感激です。またカムバックしたいと思います。

家に帰るとパーティの準備が出来ていました。そうです今夜が最終日なのです。近所の人達もバーベキューを焼くのを手伝ってくれています。子供たちも何か寂しそうです。夜になると屋外で宴会が始まりました。料理の臭いを嗅ぎ付けてたくさんの人達が集まってきました。もう誰が誰だかわからない状態です。訪問者は誰でも食べ放題です。ほどよくアルコールが回ってきた時です。

きゃ~という悲鳴があちこちからあがっています。何かいやな予感が・・・・・・とっさに前を見ると、上半身はだかの男が奇声をあげてナイフを振り回しています。これは大変なことです。けが人が出たら大変です。男は薬中毒らしいです。目がうつろで、フラフラしています。この地域にはよくいるそうです。ふと男と視線が会ってしまいました。とたんに奇声を上げて襲いかかってくるではありませんか。思わずダッシュで逃げました。しかもスプーンを持ったまま・・・・・・・

まもなく駆けつけたバランガイポリスに取り押さえられて、男は連行されていきました。あとは何事もなかったかのようにまたパーティが再開されました。宴もたけなわの頃、誰かがカラオケマシンを運んできました。1曲5Pのマシンです。道路の真ん中でカラオケ大会の始まりです。まもなく自分にマイクが回ってきました。ドキドキですがここで尻込みする訳にはいきません。密かに練習していた、Rey ValeraのPangakoを歌いました。タガログの歌なのでみんなびっくりしていたようです。すごい盛り上がりでした。アンコールはKung Kailangan Mo Akoとサザンの逆輸入曲 いとしのエリーのタガログ語版 Honey my loveを歌いました。夜中遅くまで大変な騒ぎでした。

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2005年10月21日 (金)

初渡比 5日目

ディビソリアにホームステイして、3日経ちました。慣れとは恐ろしいもので、とりあえずここの生活に体が適合してしまいました。フィリピンフードもすべてOKです。水だけは一応ミネナルを買って飲んでいます。ここでは日本人が珍しいのか近所の人が良く見に来ました。入れ替わり立ち代りです。好奇心の眼差しで散々見られました。近所のお嬢さん方もそうです。恥ずかしそうに遠巻きに眺めています。昼間は近所の子供とバトミントンやバスケットボール、夜は大人たち相手にビリヤードでした。ビリヤードは日本でもやっていたので、親睦を深めるのに役立ちました。主に9ボールでしたね。片言のタガログでよく交流が計れたと自分でも信じられません。日本語の出来ない環境に無理やり入れられてしまったので、余計パワーが出たのかもしれません。追い詰められれば人間なんとかなるもんですね。

昼過ぎからシューティングクラブに行きました。今日はコンバットシューティングです。前回と違って、今回は動きながら的に向かって撃つのです。柱の右から3発、左から3発、窓から3発、ドアをあけて折り膝で3発、マガジンチェンジして立ち位置で3発、右手撃ちで3発、左手撃ちで3発、そして最後は中サイズの的に向けて3発です。かなり体力使います。最初は流れをマスターするのが大変でした。弾無しで何回も練習しました。命中数と時間が競われるのです。最初は90秒近くかかりました。しかも半分も命中していません。コーチのアノイは厳しいです。何度も叩かれましたね。半端でなく怖かったです。3発はほとんど連続で撃たないと時間は短縮できません。流れるような動作が要求されるのです。しかも的に正確にヒットしなければなりません。こんなの数日でマスター出来るわけはありません。でもアノイはまじ真剣でした。猛訓練のお陰で、なんとか流れだけはつかめるようになりました。あとはイメージトレーニングと集中力のアップです。遊び半分で始めたシューティングがこんなにマジになるとは思いませんでした。明日は最終訓練です。アノイの気合も入ってきました。

夜は家族みんなでアンティポロまで夜景を見に行きました。デイビソリアから車で約1時間の山の上です。マニラ市街が一望できる絶好の場所にレストランがありました。よく百万ドルの夜景と言いますが、これに匹敵するほどきれいでしたね。食事をしながらカラオケ大会です。自分はひそかにタガログ語の歌を練習していたので、披露しようと準備していましたがなぜか気後れしてしまい出来ませんでした。明日が最終日だったので少しナーバスになっていたのかもしれません。

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2005年10月20日 (木)

初渡比 4日目

雑魚寝状態で目がさめました。奥さんはすでに朝食を作っています。目玉焼きとロンガニーザ(ソーセージ)とシニガンとライスです。ロンガニーザは濃厚な味で旨かったですね。子供達とバトミントンで遊んだ後、ご主人とジプニーでパサイへ。ここにシューティングクラブがあるのです。コーチのアノイはとても気さくな奴でした。でもひとたび射撃場に入ると急に厳しくなります。フィリピンの射撃大会で何回も入賞している凄腕です。まずは銃の解体からです。仕組みを理解していないと射撃も上手くならないそうです。自分は基本的なことは数多くのモデルガンを組み立てている経験からわかっていましたが、実銃を扱うのは初めてでした。鈍く光る金属、さすがモデルガンとは違って重量感があります。半日は分解・組み立てこの作業に費やしました。

銃は45口径オートマチックのハイカップです。日本では聞き慣れない銃でした。見るのも初めてでした。グリップが太くかなりの重量感があります。ずんぐりしていて決してスマートな銃ではありませんでした。スマートで美しいベレッタ92Fとは全く対照的な銃です。実銃の射撃は初体験だったので、8mレンジで両手撃ちから始めました。ドコーンというすごい衝撃です。さすが迫力あります。撃った感じはかなりいいです。銃が大きいだけあって、安定感があり的が狙いやすいです。練習しているうちにほぼ集弾が30センチぐらいに纏まるようになりました。次は片手撃ちです。右はほぼパーフェクトでしたが、左が全然ダメでした。コーチのアドバイスで、銃をやや右に傾けて撃つようにしたら格段に集弾が良くなりました。金属製の的は大が直径30㎝、中が直径10㎝、小が直径5㎝です。大は8mレンジでほぼパーフェクトヒット、中は30%ほど、小は残念ながら1発もあたりませんでした。小は8mも離れると点ぐらいにしか見えません。明日は動きのあるコンバットシューティングに挑戦です。92f

 

写真はベレッタ92Fバーテック

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2005年10月19日 (水)

初渡比 3日目

トンドのダグパンという所に、弟さんの奥さんの兄が住んでいて厄介になることになりました。てっきり近くのホテルでも取ってくれるのかなと思っていましたが、ホテルは危ないからと言う理由で、そこに滞在することになりました。トウトウバンの近くでディビソリアといわれる地区でした。ここはマニラの下町と言った雰囲気です。周りにはスクワッターエリア(貧民街)も沢山あり、物騒な所でもあります。ショッピングセンターの周辺には、露天がびっしりと並び活気があります。生鮮食品から雑貨・衣料品・電気製品までありとあらゆるものが安く販売されています。バイレーツCDなどわずか30~50Pです。ゴミの臭いと、魚・肉の臭いが混じった独特の空気が辺りを漂っています。つくづくアジアに来ているんだなあと感じさせる所でもありました。

兄の家族は6人でした。奥さんと子供4人です。打ち解けるまではそう時間がかかりませんでした。子供受けはどこでもいいほうです。

しかし、ここに来てまず大きな問題が・・・・・・

トイレなんです。便座もないし紙もありません。あるのはポリバケツに入った水と手桶だけ。小はどうにでもなりますが、大の時は苦労しました。いわゆる手動のウォシュレットだと思えばいいのですが、手桶が上手く使えません。最初はズボンまでビシャビシャになってしまいました。(笑)慣れると気持ちよくて癖になりそうです。あとスコールの後は、排水が効かなくなって全く流れません。手桶で水を流してもゴボゴボと溢れてきますので最悪です。あたり一面ウンコだらけになります。

シャワーこれも大変です。温水だと思ったら大間違いです。そんなものこの周辺にはありません。水道の水ならまだいいほうです。ここは井戸なんです。まず入る前に井戸水をバケツに汲んで運ばなければなりません。10回ほど運んで準備OKです。さすがにマニラは暑いですが、井戸水の冷水シャワーは結構効きます。鳥肌が立つほどです。ても気持ちいいですよ。

ここに来て、正直なところ強いカルチャーショックを受けました。初渡比の自分にはきつかったです。要はすべて慣れです。郷に入っては郷に従え この精神ならやってゆけそうです。

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2005年10月18日 (火)

初渡比 2日目

朝、電話で起こされました。完全な二日酔いです。早速、1階の食堂へ。ここの朝食はバイキングスタイルです。周りを見渡すと結構日本人がいるではないですか、皆さんお持ち帰りしたと思われるババエと朝食を食べています。(笑) 先輩はというと昨晩は地下の店ではなく、EIECに行けば良かったとさかんに悔しがっていました。

まもなく弟さんが迎えに来て、今回の主目的であるバタンガスへと向かいました。ハイウェイは渋滞も無く快調でした。バタンガスへは3時間ほどで到着です。マニラと違って空気もいいです。街もきれいで、マニラより快適そうです。マビーニという小さな街に宿をとりました。先輩たちは早速潜りにバンカーボートで出発。自分は未経験のためダイビングスクールに通うことになりました。

日本でCカード(ダイビングのライセンス)をとっていれば、先輩たちと一緒に行動できたのですが、全くの別行動になってしまいました。ほとんど泳げないのに大丈夫かなという不安はかなりありました。講義を受けて、いざプール実習へ。いや~ダメでした。想像以上に水に対しての恐怖心があり、パニックになってしまいました。いとも簡単に挫折です。マスクの水抜きさえ出来ませんでした。(笑)

先輩からは散々バカにされましたが、怖いものは怖いのです。へたにCカード取れちゃって海で事故起こすよりいいかなと、変な言い訳をしている自分が情けなかったです。ダイビングがダメとなるとすることは海水浴か、釣りか、カラオケしかありません。そんな自分を不憫に思ってか、弟さんが『お前、確かサバゲーやってたよな。本物でも撃ってこいよ』という悪魔のようなささやきが・・・・・・

数時間後、再びマニラに出発する自分がいました。行き先はトンドです。batangas2

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2005年10月17日 (月)

初渡比 初日

最初のマニラの印象は、とにかく蒸し暑かったですね。ムッとくる熱気のようなものが感じられました。それと空気の悪さです。街中排気ガスだらけといった感じです。ジプニーが通った後は、前が霞んで見えないぐらいです。ここには排気ガス規制など存在しないのでしょう。ロハス通りが近づくとスクワッターのような人達が、車に近づいて物乞いしています。窓を汚いぼろきれで拭いてお金を無心する子供、赤ちゃんを抱きかかえたうつろな目の女性などなど。なんかとんでもない国に来てしまったことを実感いたしました。

まもなく車はロハス沿いにあるトレーダースホテルに到着しました。近代的なきれいなホテルでとりあえず一安心です。海側の眺めの良い部屋でちゃんとセキリュティボックスもありました。スタッフも良く教育されているようで、対応も良かったです。値段は現地で予約してもらって朝食付きで50ドルでした。

一休みしてから皆で食事に行きました。ロハス通りのバクラーラン近くにあるMAX'Sというフィリピンレストランです。MAX'Sはチェーン店なんですが、とにかく旨かったです。特にフライドチキンとシーフードカレカレがお勧めです。4人でめいっぱい食べて2.000Pほどでした。

ショッピングモールのハリソンプラザを散策した後、フィリピン人の奥さんの親戚がやっているというカリエドのお店へ行くことになりました。そこは怪しげな繁華街にありました。入り口では二人のガードマンが身体検査をします。主に銃とナイフのチェックだけだそうです。店の中は真っ暗です。最初ほとんど何も見えませんでした。ペンライトの案内で席へ。座ると間もなくショーが始まりました。少し高くなったステージでババエ(女の子)が腰をクネクネしながら踊っています。最初はお店にいる服装で、2回目は下着だけで踊ります。そしてラストは・・・・・・

初めて見たので興奮しました。しかもババエはすべて18歳とのことです。総勢20名ぐらいいたでしょうか。何人かタイプの娘いましたね。気に入ればドリンクを奢って席に呼ぶことも出来ます。先輩はすばやく何人か呼び寄せました。先輩は弟さんの奥さんが同席しているのにバストス(スケベ)しまくりです。見習わなくてはいけないですね。

この店の客層はというと我々以外は全員ピーノでした。日本人は弟さんの関係者ぐらいとか。システムとしてのババエのお持ち帰りは無いそうです。その代わりVIPルームがあり、交渉次第でなんでもありだそうです。

ここに5時間ぐらいいたでしょうか。サンミゲルを飲みすぎで気持ち悪くなってホテルに帰ることになりました。支払いは4人で総額5.000Pぐらいでした。ホテルの部屋でぐったりしていると先輩から電話で出撃要請がありました。なんでもホテルの地下のお店に行くんだそうです。フラフラ状態で地下のお店へ。ここも暗~いお店でした。ハバエの顔も良く見えません。レベルはカリエドの方が数段上でした。やたら凄まじいドリンク頂戴攻撃で撃沈。早々に退散しましたが、結構高かったようです。先輩のおごりだからいいけど、お店によってはぼられるようです。長~い1日がやっと終わりました。

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2005年10月16日 (日)

初渡比 空港編

最初にフィリピンの地に降り立ったのは、今から5年前の2000年の6月のことでした。フィリピン航空に初めて乗ったのですが、他の国際線と違って何か異様に見える方々がいるのに気がつきました。今まで海外旅行といえばヨーロッパ・台湾・韓国が主体で、自分がまさかフィリビンにいくとは思いませんでした。フィリピンのイメージというと、犯罪者が逃亡する国、買春の国、貧困の国などなどマイナスのイメージしか無かったですね。

その異様に見える方々ですが、それは他の国際線ではあまり見ることのできない方々でした。もちろん男性ですが、共通していえるスタイルは、年のころ50歳以上、中年ぷとりで髪の毛はやや少なめ、歳のわりに派手な格好をしている、金時計や金のネックレスをしている、刺繍の入ったGパンまたは短パンを履いている、靴はスニーカーやサンダルなど。そして、そして自分の子供や孫のような若いフィリピン女性と一緒でした。(爆)やはりこれは目立ちますよ~。今はすっかり慣れましたが、当時はとても違和感を覚えたのを記憶しています。

自分はなぜフィリピンに行くかというと先輩のカバン持ちだったのです。先輩の兄弟がフィリピンにおり、ダイビングをしようということで誘われたのです。先輩はダイビングのベテランですが、自分は全く経験ありません。まして泳ぎも下手です。かなり心配ですが、先輩の『大丈夫・心配ない』という言葉を信じて付いて来た訳です。特に始めての国は緊張します。事前に色々と下調べをし、タガログ語も本で一通り勉強しました。度胸と海外旅行の経験だけは多少あったので、特に不安はありませんでした。機内は帰国のタレント達で満員です。フライトは快適でした。約4時間かかりますが、機内食が終わって映画を見ていたらあっという間にマニラに到着でした。

入管では別室に連れて行かれる日本人が多いのでビビっていましたが、問題なくパスできました。ところがいつまでたっても荷物がでてきません。30分ほど待ってやっとターンテーブルが回り始めました。しかし日本から帰国するフィリピン人の荷物はものすごい量ですね。まるで民族大移動のようです。パソコン・テレビ・ニッシンのシーフードヌードルなどなど半端ではありません。あまり荷物が出てこないのでトイレに行きました。先輩はトイレは危ないから気をつけろの一言だけ。用を足していると掃除係が何人か集まってきて、オシボリを渡してくれるではありませんか。サービスいいなあとその時は思ったのですが、右手を出して『キモチダケ・キモチダケ』攻撃を受けてしまいました。(爆)まだ両替もしてないのにお金などありません。10円玉をあげようとしたら『センエン!センエン!』攻撃です。やたらしつこかったので、サラマッと言って逃げてきました。ちょっと怖かったですね。荷物はさらに30分ほど待って出てきました。

税関を通り抜けると、目の前には異様な光景が・・・・・  

うわさには聞いていましたが・・・・・そうです。とてもやばい雰囲気です。おもわず緊張感が高まります。アドレナリン噴出です。ゲートの外には泥棒としか見えない貧相な群集がいたのです。人数にして200人ぐらいでしょうか。鈴なり状態です。どう見ても迎えに来ている人達には見えませんでした。(笑)

とたんに色々な人から声をかけられます。タクシーのポン引きはやたらしつこいです。警官には携帯使っていいから千円頂戴と言われました。ここはすごい国ですね。空港からしてクレクレ人間の大集合です。先輩はというと携帯で、迎えに来るはずの弟さんに連絡とっています。渋滞で遅れるから外で待っててねだって。やばすぎです。ここは危険なので10分も持ちそうにありません。(爆)比較的安全そうな出発ロビーにあるレストランに移動することにしました。

その途中、途方にくれている日本人に遭遇しました。迎えに来るはずだったマハルコちゃんと連絡が全然取れないそうです。散々探したけどゲートの所にもいないそうです。いかにも人の良さそうなおじさんだったので、気の毒になりました。ダイヤモンドホテルはどうやら予約していたようなので、先輩と相談してクーポンタクシーの手配をしてあげました。それにしても日本語しか出来ないのによくここまで来るなあと感心致しました。その後、あのおじさんがどうなったかは不明です。たぶん何とかなったんでしょうね。1時間後にやっと弟さんがフィリピン人の奥さんと一緒に迎えに来ました。まさにフィリピンタイムです。現地に長く住んでいるこうなってしまうのかな。先が思いやられます。

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