昔のP100札
先日 渡比した際に 地元の長老の家を訪問する機会がありました。色々と仕事の面でお世話になっており、畑などで働くバランガイの人達を仕切っているお方です。
年にして80は過ぎておられるのですが、なかなか元気な方です。このぐらいの年の方は、大概日本に対してあまり良いイメージを持っていないのです。戦争の傷跡を未だに引きずっている感じですね。
長老が戦時中にどのような体験をしたのかは、多くは語りませんが当然のことながら不快な想い出なのでしょうね。
今まで自分が日本人ということで、自宅へは招かれたことは無かったのですが、どういう風の吹き回しか 今回パーティに呼ばれました。
へたくそなタガログ語でなんとかコミニュケーションを取ろうと必死で頑張っていたのですが、なんと長老は片言の日本語をしゃべるではないですか。よくよく聞いてみると、日本に占領されていた頃は、学校で日本語の授業もあったそうなのです。
パーティも終わりかけの頃 なにやら古いアルバムを見せてくれて、日本に占領されていた当時の紙幣を何枚かいただきました。これはP100なのですが、今から60年以上前のP100ですから、当時の物価からするとすごい価値があったと思われます。物価がどのくらい変動しているかわかりませんが、仮に100倍だとしたら25万くらいということですね。もっともそんなに高くはないかと思いますが、当時にしてはP100は高額紙幣には違いないでしょう。
ただ今現在は ただの紙切れ。ひょっとしたら日本のコインショップなら数千円の価値ぐらいはあるかもしれません。
100ソペ と書いてあるので時代を感じさせられますね。
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コメント
大変貴重なものですね。
ほんとにいいものをいただきましたよね。
それから、素晴らしい体験をなされていると思います。
僕はつくづく思いますが、そういうものはお金では買えないものですよね。替え難い素晴らしい貴重なものですね。どんなお話をされたのか大変興味深いものがあります。
投稿: tomoya | 2007年7月14日 (土) 15時55分
かなり大切に保存されていたものなので、本当にもらっていいものなのか悩みました。
貴重なものですから大切にしていきたいと思います。
どんな話をしたかって たわいもない話です。お年寄りですから 何を言っているのかとてもわかりにくかったです。幼少の頃の話を延々と聞かされました。
投稿: divi | 2007年7月14日 (土) 17時12分
今日は。
私のブログで渡辺はまこさんを取り上げたら数名の方が私のブログを訪問してくれました。モンテンルパの話です。
所で以前どこかで”マニラじゃ社長さん”と言う歌を聞きました。フィリピーナが日本語で歌っています。楽しい歌でフィリピンに行きたくなります。
インターネットで検索したのですが、見当たりません、ご存知であれば教えていただけますか?ご面倒おかけします。
投稿: 多摩 | 2007年7月16日 (月) 15時26分
多摩さん こんにちは♪
バックナンバーで何回か過去に書いています。
アルバムに関しては5年9/21の記事 音源に関しては6年3/29にアップしています。
左サイドバーのバックナンバーから入って検索してみてください。
投稿: divi | 2007年7月16日 (月) 15時55分
diviさん
ありがとうございました。聴かせていただきました。今すぐマニラに飛んでいきたくなる歌ですね。ありがとうございました。
投稿: 多摩 | 2007年7月16日 (月) 17時10分
始めまして、マランダイと申します。
メラルコさんから紹介されてお邪魔しました。今後とも宜しくお願いします。
この100ペソ札は軍票ですね。日本軍が占領当時大量に発行しています。今でも古い家では持っています。札束で持っている方が沢山います。私も100枚束で買わないかと勧められた事がありますが、殆ど価値が無いほどそこらへんに幾らでもありますね。
投稿: マランダイ | 2007年7月16日 (月) 17時40分
貴重なモノというか体験をご紹介していただきありがとうございます。
金額うんぬんよりその長老さんがdiviさんに託したお気持ちに深い意味があったと思います。
以前台湾かどこかでも大量の軍票を証拠に裁判起こされてた記憶がありますが
どうせなら100万ペソくらいかき集めて集団訴訟して欲しいですね。
どうせ日本当局は門前払いするでしょうが昔の悪事をしらばっくれてる連中に冷水浴びせる効果は少しはあるかも知れません。
投稿: DITAS | 2007年7月17日 (火) 10時59分