ロタ島 シュガートレイン廃線跡 1
今回 ロタ島に興味を持ったのは、風光明美で海がきれいなところだけではありません。
実は かつてシュガートレインが走っていた島だからなのです。日本を含め東南アジア諸国にはかつて多くのシュガートレインが走っていました。
ここロタ島では西のソンソン村から中央部の空港近くのシナバル村までの約25キロにシュガートレインが走っていたそうである。
このロタ島にシュガートレインが敷設されたのは、1920年代後期から1930年代初頭にかけて。台湾で砂糖産業を興し成功を収めた松江春治によって作られたという。
松江はサイパンにあった二つの製糖工場を買収し事業を拡大。沖縄からも多くの労働者を集め、1930年代までにテニアン島にさらに二つの製糖工場、そしてここロタ島にも製糖工場を建設しました。
1936年現在 砂糖は1.300万円 砂糖の副産物であるラム酒は100万円売り上げています。
サイパン・テニアン・ロタの3島で生産された砂糖は日本に出荷されていました。
シュガートレインは島の東部のシナバル村にあったサトウキビ畑から、ソンソン村にある製糖工場までサトウキビの運搬目的で敷設されました。
ところが戦争が激化するなか島内にも軍事施設や火薬工場などの化学工場も建設され、軍事鉄道としても使用されるようになっていくのである。
その後米軍機の爆撃や艦船からの集中砲火で鉄道は壊滅。
現在は島内に2台の蒸気機関車と製糖工場跡、それに廃線跡が残るのみである。
ここがシュガートレインが走っていた区間です。ジャングルの中のオフロードです。最盛期はシナバル村からソンソン村まで北側の路線と南側の路線があったようです。
次回は製糖工場跡に行ってみます。
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