ベルリンの壁を見てきました
ベルリンと言えばまず思いつくのはベルリンの壁ですよね。
崩壊したニュースを見たのは1989年11月9日だから、もう20年以上昔の話です。
月日が経つのは早いです。
敗戦後 ドイツは連合国によって西ドイツと東ドイツに分断されました。
首都だったベルリンは東ドイツ領内になってしまいましたが、イギリス・アメリカ・フランスが西ベルリンをソ連が東ベルリンを分割統治しました。
当初は東西ベルリンの行き来は自由でしたが、西ベルリンに脱出する東ドイツ国民が続出するようになりました。
困惑した東ドイツ政府が1961年8月13日に突如東西ベルリンの国境線をすべて封鎖し、西ベルリンを包囲するような全長155キロに及ぶ壁を作ったのです。
これにより一夜で家族離散してしまった人も少なくなかったと言われています。
東ベルリン市民は壁に近づくことも禁止され、脱出しようとして命を落とした人は136人にも及ぶそうです。
その後 東ドイツにも民主化の波が訪れ、東ドイツ政府は1989年11月9日に旅行の自由化を承認。
歓喜した東ベルリン市民が検問所に押し寄せ壁を壊したのです。
20年以上経った現在では、壁そのものが残っている場所は少なくなってしまい、イーストサイドギャラリーでは約1.3キロに渡りベルリンの壁が保存されています。
せっかくなので行ってきました。
SバーンのWarschauer駅およびOstbahnhof駅が最寄り駅です。
この2駅間のシュプレー川沿いにベルリンの壁があります。
まずはWarschauer駅で降りでトラムの線路沿いにオーバーバウム橋まで行きます。
レンガ造りのきれいな橋です。この川と橋は旧西ベルリン側になります。
この橋の袂から約1.3キロほどオスト駅近くまでベルリンの壁がイーストギャラリーとして残っています。
絵の描いてある側が旧東ベルリンになります。
ちょうどここの売店では、パスポートにベルリンのチェックポイントのスタンプを押してくれるサービスをしていました。
価格は1ユーロなんですが、パスポートにこんなスタンプ押されちゃっても大丈夫なのかな?
たまたまパスポートをホテルに置いてきたため押してもらうことは出来ませんでしたが、合法ならいい記念になりそうですね。
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コメント
壁崩壊の時に日本の桜を植える基金があり参加しましたが数年後行きましたが見つけられませんでした。Sonyビルが始まった頃です。
記事のスタンプは金魚の糞よろしく着いて来た女房が1人で出掛け押してもらい自慢の一品です、バカが!
投稿: でぶ熊 | 2013年9月 6日 (金) 00時02分
でぶ熊さん こんにちは♪
自分はパスポートを取りにホテルまで戻ろうと一瞬だけ思いましたよ。
パスポートを持っていれば押してもらったと思います(笑
投稿: divi | 2013年9月 6日 (金) 11時44分