極悪ピーナちゃん ついに夜の仕事から引退
先日、久しぶりに腐れ縁の極悪ピーナちゃんから KAIN TAYO というラインが来ました。
この極悪ピーナちゃんについての過去ログはこちら
上野の飯屋でランチをしてきました。
話を聞くと 彼女はついにPPの仕事を引退したそうです。
普段は口の堅い彼女ですが、今日はなんか色々と聞き出せそうな感じだったので根掘り葉掘り突っ込んで聞いてみました。
以下は彼女のおおまかなプロフィール。
彼女の初来日は2000年。フィリピンに3歳の男の子をおいてタレントとして日本にやってきました。
写真はイメージです
23歳の彼女はマガンダでモデルさんのようなスリムな体系。
妖艶な雰囲気もあったので、すぐにたくさんのお客さんが出来て、トータルでリクエスト来日10回ほど。
都内・関東・関西・九州などあちこちでタレントとして活躍してたそうです。
2006年にお客さんの日本人と結婚。こたぶんにもれず定住者ビザが取れたころに離婚。
ちなみに日本人との旦那との子供はなし。
なんで離婚したのか聞いてみたら、生活習慣の違いから意思の疎通がうまくできなかったそうです。
彼女がポロっと言ってたのは、好きだったけど愛は無かった ということ。
悪く言えば、まさに定住者ビザを取るために利用しただけ ということです。
本人曰く、みんなやってるよ だって
これらは自分が彼女を極悪ピーナちゃんと呼んでいる理由のひとつです。
サラリーについてもこの際 聞いてみました。
ピークだった2006年当時は月収80万。結婚しているにもかかわらず、お客のスポンサーが5~6人ほどいたそうです。
怖いですね~
美貌を利用してガンガンと稼ぎまくっていたんですね。
金持ちのお客さんからお金を引っ張る技は一流だったので、年収はそれ以上にあったようですよ。
2010年当時で貯金はなんと5.000万は軽くあったそうです。
でも彼女はフィリピンに豪邸を建てる夢を持っていたので、倹約に倹約を重ね、
フィリピンへの毎月の送金も最低限にしていたそうです。
そして他のピーナちゃんと唯一違うのは浪費家ではないこと。
だからしっかりと貯金出来たんだと思います。
自分の金は使わずにいつも他人の金を使っていたということですね(笑
ついに2013年ごろにフィリピンに豪邸が完成。
その後フィリピンで次々とビジネスを始めていきます。
そのころ都内の某PPで自分と知り合いました。
その当時も確か人気嬢の1人だったと思います。
ただし自分的には、いかにも悪そうなピーナちゃんとだと初対面の時からピンと感じでいたので、常に距離はおいていました。
ただフィリピンでのビジネスの話は、何かと相談を受けていたのでお客さんというより友達付き合いが始まったわけです。
お店に行くのは年に1~2回だけでした。
彼女も現在は41歳。まだまだマガンダの面影はありますが、旬が過ぎて今までように稼げなくなっていきます。
大口のスポンサーも次第に離れていき、だんだんと昼間のパートがメインになっていったそうです。
それで今回、2000年から18年間やってきたPPの仕事を引退することになったそうです。
極悪ピーナちゃん お疲れさまでした。
最後に何人の日本人スポンサーと彼氏がいたのか聞いてみましたが、笑って教えてはくれませんでした。
恐らくですが、いっさい口にはしませんでしたが、引退後をサポートしてくれる新しいスポンサーが見つかったのだと思います。
さすが極悪ピーナちゃんは、タダでは転びません。
しかし自分よりはるかに金持ちだったとは、恐るべし極悪ピーナちゃん。
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